六〇年代、ポップスの女王と呼ばれた弘田三枝子さん。圧倒的な歌唱力を誇り、名曲『人形の家』で知られています。そんな彼女の人生は華やかな舞台の裏で波乱に満ちていました。今回は、彼女の不倫や傷害事件の真相を掘り下げます。
弘田三枝子(本名:竹永三枝子)は1947年2月5日、東京都世田谷区に生まれました。彼女はポップス、ジャズを中心に活躍し、そのパンチの効いた歌声で多くのファンを魅了しました。特に、ジャズで鍛えたスキャット技術を得意とし、ライブパフォーマンスで人々を感動させました。
不倫スキャンダルと傷害事件
1977年1月25日、東京の自宅マンションのエントランスで、弘田さんは背中を3回刺されるという事件が起きました。犯人は、彼女の不倫相手であるギタリスト杉本清の妻でした。二人は仕事を通じて出会い、急速に親密な関係に発展しました。しかし、杉本の妻は夫の不倫に気づき、調査会社を使って調べた結果、弘田さんとの関係を知ります。
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